NHK大河ドラマ「光る君へ」で、一条天皇のもとに見上愛さん演じる藤原道長の長女・彰子(あきこ)が入内しますが2人の年齢差とは?一条天皇と彰子の年齢差と関係・仲は良かったのか?ネタバレと史実をご紹介します。
一条天皇と彰子の年齢差は8歳!見上愛が12歳を演じる!
彰子とは?藤原道長の長女で一条天皇の后に
「光る君へ」では間もなく、見上愛さんが演じる藤原彰子が登場します。
彰子は藤原道長の長女で、権力を確たるものにするため娘を時の一条天皇(塩野瑛久)の后にと送り込んだのです。
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道長の長女。幼いうちに一条天皇に入内(じゅだい)し、定子と競う立場となる。まひろ(紫式部)は才を見込まれ、彰子のもとに宮中女房として出仕する。彰子は、一条天皇にふさわしい妃(きさき)になろうと努力を重ねる。#光る君へ pic.twitter.com/ySSxlUtXxu
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道長の長女。幼いうちに一条天皇に入内(じゅだい)し、定子と競う立場となる。まひろ(紫式部)は才を見込まれ、彰子のもとに宮中女房として出仕する。彰子は、一条天皇にふさわしい妃(きさき)になろうと努力を重ねる。
引用元:公式サイト
そんな彰子のもとに、まひろこと紫式部(吉高由里子)は学問を教えるために仕えることになるんですよね!
ちなみにこのころ、一条天皇には中宮の定子(高畑充希)がいました。
一度は出家した定子でしたが、一条天皇の寵愛が深くその後も子をもうけて仲睦まじく過ごしていたのです。
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【第二十五回】決意
あす6月23日(日)
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一条天皇と彰子の年齢差は8歳!見上愛が12歳を演じる!
一条天皇のもとにもう一人の妻として入内してくる彰子ですが・・・
その当時の年齢はまだ12歳です。
一条天皇は当時20歳なので、年齢差は8歳と言うことになります。
入内したときまだ子供の彰子と一条天皇の間には男女の関係は無く、「雛遊びの后」と呼ばれままごとのような夫婦関係だったようです。
というのも、当時の年齢の数え方は生まれた年を1歳として、元旦を迎えるごとに年を重ねていく数え年。現在の12歳よりも1~2歳年少だったことになります。
なので、10歳くらい。小学校4年生前後と言うことで、どう考えても、恋愛・結婚などを意識する年齢ではないですね。
ちなみに、彰子役を演じる女優の見上愛さんは23歳。
見上愛さんはかわいらしい女優さんですが、10歳以上の年齢差を演じることになり、話題になりそうですね。
そんな彰子と一条天皇の婚姻関係がこの後どうなっていくのか?
史実からご紹介したいと思います。
一条天皇と彰子の史実は?二人の皇子を生み後に天皇の母となる!
藤原彰子(しょうし・あきこ)は988年(永延2年)、藤原道長と倫子の長女として生まれます。
「髪は背丈よりも長く、顔かたちは美しく、まだ少女というべき年齢なのに、落ち着いていて申し分のない姫君でいらっしゃった」
と評する書物もあり、彰子はかなり幼いころから美しかったのだと思われます。
そんな彰子は父・藤原道長の以降により12歳で、ときの一条天皇に入内することになります。
先ほどもご紹介しましたがそのとき彰子はまだ12歳です。
さらに一条天皇にはすでに藤原定子(ていし・さだこ)という后がいたにもかかわらず道長は強引にことを進めました。
定子を「皇后」、彰子を「中宮」と名称を変えることで、一帝二后(いっていにこう)という天皇に正室が二人いる異例の状態を作り出したのでした。
程なくして皇后となった定子は、24歳の若さでこの世を去ってしまいます。
中宮・藤原定子の死因と最後とは?落飾【出家】など悲運の生涯とは?
彰子は定子の息子・敦康親王(あつやすしんのう)を養母として大切に育てます。
ライバル関係にあった定子ですが、彰子は彼女の事を悪く思っておらず、定子亡き後も親族に援助をしていたとも言われていますね。
その後、成長した彰子は一条天皇との間に、2人の皇子・敦成(あつひら)親王、敦良(あつなが)親王を生みました。
しかし、一条天皇は定子との間の皇子・敦康親王を跡継ぎにしたいと考えていたのです。
彰子もその意向に賛同するも・・・道長は自分の孫である「敦成親王」を次の天皇にすると強引に決めてしまいます。
この時の道長の行動に彰子は激しく抵抗し、敦康親王を次期天皇にするよう直談判までしましたが、願いは聞き入れられませんでした。
それから一条天皇亡き後、彰子が生んだ皇子たちはそれぞれ天皇となり、道長の権力は絶頂期を迎えます。
敦成(あつひら)親王は、61代後一条天皇、敦良(あつなが)親王は69代後朱雀天皇となり、彰子は母として政務や人事を後見する立場を担ったのです。
天皇の母「国母」として尊敬を集めた彰子は、1074年(承保元年)に87歳で亡くなったと言われています。
一条天皇と彰子の関係は?仲がよかった?
そして気になるのは、一条天皇と彰子との関係性です。
当初一条天皇は、定子を寵愛していたため、12歳で嫁いできた彰子のことを女性として見ていなかったかもしれません。
そこで藤原道長は、彰子に学問の知識を授けたいと、源氏物語を書き始め人気が高まっていた紫式部を女房として取り立てたのです。
以下の記事で彰子と紫式部の関係の史実をご紹介しています。
藤原彰子と紫式部の関係は不仲だった?道長の娘は美人って本当?
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【第二十五回】決意
本日6月23日(日)
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宮中で生活を始めた紫式部は、夜になると源氏物語をさらに書き進め、このときの生活は物語の着想に大いに役立ったそう。
やがて物語好きの一条天皇は、源氏物語の続きを読みたいと彰子のもとを頻繁に訪れるようになります。
これが道長の狙いで、一条天皇と彰子を紫式部を通じて近づけることに成功させたのです。
そして後に彰子は懐妊し、二人の皇子をもうけました。
この事からも一条天皇と彰子の関係性は悪くなく、仲睦まじかったと思われます。
彰子が懐妊したことを歓喜した道長は、紫式部に出産に関わる出来事を記録するよう命じました。
これが世に有名な「紫式部日記」と言われています。
さらに一条天皇と彰子の信頼関係を示すエピソードがもう一つ!
一条天皇は自らの後継者として、定子との間の皇子・敦康親王を考えていました。
しかしそれを道長が反対したため実現はせず。
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一条天皇の意を組みたかった彰子は、それを無視した父・道長を恨み、親子関係に軋轢が生じることになります。
父・道長ではなく、夫である一条天皇の意向を尊重した彰子。
この事からも二人の関係性はかなり良かったと考えることも出来そうですね。
まとめ
藤原彰子と紫式部の関係は不仲だった?道長の娘は美人って本当?
今回は「光る君へ」の一条天皇と彰子の年齢差や関係性についてご紹介しました。
結婚した際、彰子は12歳、一条天皇は20歳だったので年齢差は8歳となります。
まだ幼かった彰子と最初は関係性は良くなかったかもしれませんが、紫式部を通じて2人は近づくことになり、のちに2人の皇太子が誕生!
したがって一条天皇と彰子の仲は悪くなかったと思われますね。
塩野瑛久さん、見上愛さんが、どんな夫婦を見せてくれるのか?期待したいところですね(^^♪
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