MENU

中宮・藤原定子の死因と最後とは?落飾【出家】など悲運の生涯とは?

#ad #PR #スポンサー

NHK大河ドラマ「光る君へ」で高畑充希さん演じるのは中宮・藤原定子(ふじわらのさだこ)は長徳の変で落飾【出家】の悲運の道をたどるのですが最期や死因とは?中宮・藤原定子の死因と最後までの生涯をご紹介します。

目次

中宮・藤原定子とは?光る君へで高畑充希演じる一条天皇の后!

道隆の長女。一家の繁栄を願う父の思いを一身に負い、年下の一条天皇に入内(じゅだい)する。清少納言らが集う、才気にあふれたサロンを作り上げ、一条天皇の最愛の妃(きさき)となるが、悲運に見舞われる。

引用元:公式サイト

中宮・藤原定子は藤原道隆の娘で一条天皇の后に!

高畑充希さんが演じる中宮・藤原定子は、井浦新さん演じる藤原道隆と板谷由夏さん演じる高階貴子の長女です。

一家の繁栄のために、自分より年下の一条天皇に嫁ぐことになり、まだ幼い帝と戯れる姿がとってもかわいかったですよね~(^^♪

そんな定子に仕えるようになったのが、紫式部と並び有名なあの清少納言です。

「光る君へ」では、ファーストサマーウイカさんが演じています!

天皇の妃となり栄華を極めた定子ですが、関白の父・道隆が亡くなったことで、その地位が揺らぎ始めていきます。

以下の記事では、道隆の死など生涯をご紹介しています。

藤原道隆の死因や最期とは?性格はどうだった?

その後関白になった道兼(玉置玲央)も間もなく亡くなってしまい、次の関白は道長(柄本佑)と伊周(三浦翔平)が争うことになりました。

定子は一条天皇(塩野瑛久)に兄である伊周を関白にと進言しますが、一条天皇は道長を関白に次ぐ内覧の地位に据えたのです。

子供を設けるように執拗に責められる

こうして政争に敗れてしまった伊周は、定子に早く天皇との間に子供をもうけるように強く言います。

父親にも兄にも子供をも設けるように、執拗に言われるシーン。見ていて辛かったです。そのシーンだけでも十分に悲劇な境遇だと思いました。

仲睦まじい一条天皇と定子ですが、このころまだ二人の間に子供は有りませんでした。

そんな定子の周囲である事件が起こります。

それは、第19話ラストで描かれた伊周と隆家(竜星涼)が矢を放ったあの出来事です。

史実では「長徳の変」と呼ばれるのですが、以降で詳しくご紹介します。

中宮・藤原定子は長徳の変で落飾【出家】

為時(岸谷五朗)が淡路守に任命され、惟規(高杉真宙)、いと(信川清順)も大喜び。しかしまひろ(吉高由里子)は、宋の言葉を解する父は越前守の方が適任だと考え…。一方内裏では、花山院(本郷奏多)の牛車に矢を放った一件で、一条天皇(塩野瑛久)が伊周(三浦翔平)と隆家(竜星涼)に厳しい処分を命じた。さらに、定子(高畑充希)は兄弟の不祥事により、内裏を出ることを命じられる。絶望のふちに立った定子は…

引用元:公式サイト

伊周、隆家兄弟が長徳の変で左遷

長徳2年(996年)1月、伊周は藤原斉信(金田哲)の妹・光子(竹内夢)にほれ込んでいました。

斉信邸の前に見事な牛車があるのを見た伊周は、光子に他の男がいるのでは?と勘違い。

実際牛車の主は、光子の妹を訪れていた男のものでした。

そうとは知らない伊周の弟・隆家は、牛車の主を脅かそうと矢を放ったのです!!

その矢を放たれた相手は・・・何とかつての天皇で今は出家の身だった花山院(本郷奏多)でした。

この事件で、従者たちの乱闘が起こり、花山院の従者二人が亡くなってしまいます。

後日矢を放ったのが、伊周、隆家兄弟だと判明すると、二人はそれぞれ大宰権帥、出雲権守に左遷され配流されることになるのです。

顛末は落飾【出家】

そして兄弟の不祥事によって、妹で中宮の定子は、内裏を出ることを命じられてしまいました。

定子は移された屋敷で、兄・伊周らが配流先へなかなか出発せずに検非違使に捕縛された姿を目撃することに!

それは彼女にとってはかなりの絶望でした。

そして衝撃的に落飾(貴人が髪(=飾)をそりおとして仏門にはいること。)してしまいます。

そう、定子が出家をしてしまうという衝撃の展開が第20回では待ち受けているのです。

長徳の変については、以下の記事で詳しくご紹介しています。

花山院が【長徳の変】で伊周と隆家に矢を放たれた事件の結末とは?

藤原定子の死因と最後とは?悲運の生涯とは?

教育係は清少納言

それでは気になる中宮・藤原定子の史実についてご紹介します。

977年(貞元2年)、藤原道隆の長女として生まれました。

名前は定子で読み方は「ていし」とも言われていますね。

母は高階貴子(たかしなのきし)で、漢詩に秀でた女流歌人でもあります。

優秀な父、歌に優れた母のもと育った定子は、明るく才気に満ちた美しい女性に成長!

そして990年(正暦元年)、14歳で3歳年下の一条天皇に入内し、父・道隆は関白に就任したことで彼女の周囲は絶頂期を迎えました。

そんな定子の教育係として宮中で仕えたのが、清少納言です。

清少納言は、枕草子の中で定子のことを「こんなに美しい人がいたとは」と書いており、10歳ほど年下の定子へ尊敬の念も抱いていたと言われています。

才気あふれる清少納言が憧れを抱くほど、定子は魅力的な女性だったようです。

父親の死や兄の事件で地位が揺らぐも出産

そんな定子ですが、道隆が亡くなったことでその地位が揺らぎ始めてしまいます。

兄・藤原伊周が関白の座を巡って叔父の藤原道長と対立!

しかし伊周は道長に敗れてしまい、世に言う長徳の変がきっかけで、弟の藤原隆家とともに左遷されてしまうのです。

そしてドラマと同様に史実でも、定子は出家します。

定子は兄たちを許してほしいと一条天皇に懇願するも許してもらえませんでした。

その後の兄弟は、定子が内裏を出て住まわっていた二条の邸宅に立てこもります。

定子は体を張って兄をかばったと言う話もありますが、天皇は許さずに、2人とも捕まってしまいます。

定子は責任をとって、落飾することとなるのでした。

それでも一条天皇は定子を寵愛し、第一皇女となる脩子内親王が生まれました。

一方、藤原道長はというと娘の彰子(しょうし)を12歳という若さで一条天皇に入内させることに!

その頃から定子は宮廷での居場所を失いつつありましたが、一条天皇の寵愛は続き、定子は再び身ごもり、一条天皇の第一皇子となる敦康親王を出産しました。

それからも定子への一条天皇の寵愛は止まることなく、媄子内親王を出産するのですが・・・

出産の翌日に容態が急変し定子は亡くなってしまいます。

1001年(長保3年)24歳という若さだったと言われています。

 

まとめ

白氏文集の「新楽府」【漢文】を紫式部が学んだ史実とは?

今回は「光る君へ」で高畑充希さん演じる藤原定子の死因と最期についてご紹介しました。

兄妹の不祥事により出家してしまうも、その後も一条天皇の寵愛を受け続け、三人の子供をもうけた定子。

しかし三人目を生んだのちに、亡くなってしまいました。

当時は医療技術も無く、出産後に亡くなる女性もかなり多かったと言われていますね。

おそらく「光る君へ」でも出産後に亡くなってしまう定子の姿が描かれることになると思います!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次