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藤原道隆の死因や最期とは?性格はどうだった?

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大河ドラマ「光る君へ」で井浦新さん演じる藤原道隆(ふじわらのみちたか)の最期が近づいてきていますなぜ死亡したのでしょうか?藤原道隆の死因や最期とは?性格はどうだった?史実やネタバレをご紹介します。

目次

藤原道隆とは?大河ドラマ「光る君へ」

藤原道隆とは?藤原兼家の長男

道長の長兄。兼家の嫡男。才色ともに優れており、上品さ、明るさをも兼ね備えた、申し分のない跡継ぎ。権力を弟たちではなく、息子に継がせようと試みる。

引用元:公式サイト

井浦新さん演じる藤原道隆は、藤原道長(柄本佑)の兄にあたる人物です。

第1話から登場しており、上級貴族・藤原兼家(段田安則)とその妻・時姫(三石琴乃)との間に生まれた長男!

兼家は才色ともに優れた道隆を跡継ぎに決めており、次男・道兼(玉置玲央)はいつも汚れ仕事を任されます。

そのため、これまで道兼がドラマの中で注目を浴びることが多かったですが、兼家が亡くなったことで、関白の跡を引き継ぎ道隆の出番も増えてきましたね。

父親の兼家が死亡後に更なる独裁に突き進む

道隆の妻は高階貴子(板谷由夏)で、三人の子供がいます。

長男が伊周(三浦翔平)で、才色兼備の自信家の青年。

娘の定子(高畑充希)は一条天皇(塩野瑛久)に入内しています。

亡き父親の兼家を引き継いで、権力の拡大のため、定子を中宮に立后した時には、前例のない人事に藤原実資(秋山竜次)などから大きな反発が。

しかし、道隆の意向どおり、定子の立后が決定。

周囲からの反発が大きくなっています。

そして次男の隆家(竜星涼)は、第16話から登場予定のようですね!

父のあとを受け継いだ道隆ですが、都には疫病がはびこりはじめ、その対応について道長と対立することになるようです。

さらに病が道隆を襲い、その命も間もなく尽きてしまう??

以降で、気になる井浦新さん演じる藤原道隆の最期についてネタバレ紹介します。

知りたくない方は閲覧ご注意くださいね。

光る君へ藤原道隆の最期のネタバレとは?

泥酔し病状が悪化する藤原道隆

藤原道隆の最期は4月28日放送の第17話で描かれます。

一命をとりとめたまひろ(吉高由里子)。乙丸(矢部太郎)から道長(柄本佑)が夜通し看病してくれたことを知らされる。道長は民を救うべく疫病患者を収容する小屋を建てようとしていた。その頃、道隆(井浦新)は体調を崩し衰弱し始める。定子(高畑充希)は兄・伊周(三浦翔平)が関白に準ずる職につけるよう一条天皇(塩野瑛久)に働きかける。対する詮子(吉田羊)は…。そんな中、意外な人物がまひろを訪ねてくる。

引用元:NHKサイト

都で疫病患者が蔓延し、道長がその対応に追われる中、道隆は妻の貴子が心配するほど酒を飲んで酔っ払っていました。

あるとき道隆は一条天皇と中宮・定子の前で笛を披露するものの、吹き終わると昏倒してしまいます。

病状はかなり悪化しており、安倍晴明は間もなく死ぬだろうと予言。

翌日、道隆は弟の道兼に道長と組んで、息子の伊周、定子、隆家に酷なことをしないで欲しいと懇願しました。

翌年の正月、新しい元号を長徳に決定しますが、藤原実資たち公卿は「長い毒」を意味すると、この改元を心配している様子。

さらに道隆の言いなりとなる、一条天皇の未熟さを懸念する声も上がっていました。

定子は父・道隆の病を案じながらも、兄・伊周を後継者とするため動き出します。

そのために目を付けたのは、天皇に奏上する文書を前もって読むことが出来る内覧という役職に、伊周を付けようとする策。

一方、一条天皇の母・詮子(吉田羊)は、出過ぎた伊周をに力を持たせるのは危険と考えて、他の公卿を取り込もうと動き始めていました。

最期の死因は糖尿病?

やがて、飲水病(現在の糖尿病)が悪化した道隆は、自らの政務を内大臣の伊周が行えるように、内覧の地位に付けて欲しいと懇願。

しかし一条天皇は、道隆の言いなりになりすぎていると思い始めており、答えを保留としました。

その後、伊周に内覧を許した一条天皇ですが、それを「関白(道隆)の病の間」という条件付きとします。

そして3月、大納言の藤原朝光が疫病で亡くなると、実資は内裏に疫病が入り込んだことを、道隆の失政のせいだと、道隆の所業を非難。

当の道隆は正気を失い、一条天皇のもとに向かい、嫡男の伊周を関白に据えて欲しいと執拗に頼み込み天皇を困らせます。

そして4月10日。妻の貴子に看取られながら、道隆は43歳で世を去ることになるのでした。

おそらく死因は、糖尿病の病状が悪化したことでの死として描かれると思われます。

藤原道隆の死因や最期の史実とは?性格はどうだった?

藤原道隆の性格はどうだった?

光る君へ第17話で亡くなってしまう井浦新さん演じる藤原道隆!

史実ではどうだったのか?以降でご紹介します。

953年、藤原兼家と時姫の長男として生まれた道隆。

一条天皇の即位後は、兼家が摂政となり、道隆も出世して989年に内大臣となりました。

兼家が亡くなると、道隆は関白として政治の実権を握ることになります。

その性格は明朗で周りへの気配りができて明るく優しい人だったそう。

弟の道兼とは違っていたようです。

道兼は性格が悪いとかなり当時から有名だったみたいですからね・・・

そして道隆は酒豪だったともいわれており、かなりお酒が好きだった様子。

賀茂社を参拝したときのエピソードが有名です。

下鴨神社の前では、三度の御神酒(おみき)を差し上げるのが、習わしとなっていました。

道隆のお酒好きはよく知られていたので、神主が特大の盃を用意したところ、道隆は3杯どころか、7杯も8杯も飲んでしまったそうですよ(;^_^A

その後は、酒を大量に飲んで寝てしまったとも言われています。

道隆の死因と最期とは?糖尿病だった?

そんな道隆ですが、関白になって数年後の995年の4月10日に43歳で亡くなっています。

当時は疫病が流行っていたので、疫病が原因で死んだという声もあったようです。

しかし死因は今でいうところの糖尿病だったと言われていますね。

酒豪だった道隆は、糖尿病になるほど飲んでいたと言うことでしょう。

そして亡くなる前には、「済時、朝光なども極楽に行くだろうか」という言葉を言ったとも。

藤原済時や藤原朝光は、道隆の飲み仲間で、彼らのことを思いながら死んだなんて・・・

本当にお酒が好きだった人物であることがこのエピソードからも分かりますね(;’∀’)

このように大河ドラマ「光る君へ」でも同じように死因が描かれるようです。

まとめ

今回は「光る君へ」で井浦新さん演じる藤原道隆の死因や最期についてご紹介しました。

今でいうところの糖尿病で43歳にて亡くなった藤原道隆。

その後は弟の道兼が跡を継ぎますが、ほどなく亡くなり、藤原道長についにお鉢が回ってきます。

藤原の栄華を極めた道長の時代がやってくることになるのです!

個人的には井浦新さんが結構好きなので、退場は残念ですが((+_+))

最後まで「光る君へ」での藤原家の行く末を見届けたいと思います!

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